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百舌鳥・古市古墳群が世界産に2 

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2019.5.15 百舌鳥・古市古墳群が世界産に2 
 
宮内庁が「仁徳天皇陵」としている大山古墳について、昨日の記事には「推薦書は宮内庁が陵墓として管理していることを踏まえて天皇陵古墳と表記した」とあったので、少なくともウソではないと思ったのですが、夕方のニュースで宮内庁の強い要望に文化庁が配慮して「仁徳天皇陵古墳」とすると聞いてエェ~ッ!と思いました。
 
世界遺産として登録されるためには、
 
真実性」や「完全性」の条件を満たしていること
 
という条件があるようですが、仁徳天皇は架空の人物(作り話)であって、この古墳が「仁徳天皇陵」であることも、被葬者が「仁徳天皇」であることも真実ではなくウソなのです。
 
現在宮内庁が「応神天皇陵」だとしている「誉田御廟山古墳」は5世紀初頭に築造されたものなのですから、506年に亡くなった応神天皇の陵ではあり得ません。この古墳が「応神天皇陵」だというのもウソで、この古墳は4世紀末に北九州から東征をして大国主を滅ぼし、河内に王朝を開いて413年に東晋の安帝に朝貢し、421年に亡くなった崇神天皇の陵でしょう。
 
そして、宮内庁が現在「仁徳天皇陵」としている大山古墳が464年に「倭王・武」となり、506年に亡くなった応神天皇の陵なのです。
 
歴史学者さんたちが特定することができず謎としている「倭の五王」については「古代の地形から『記紀』の謎を解く」の第6章の「謎の倭の五王を推理する」をご参照ください。
 
それでは現在の崇神天皇陵はどこだということになっているのかと調べてみると、宮内庁は奈良県天理市柳本町の「行燈山古墳」を崇神天皇陵だとしているのですが、この古墳は天津族が東征を始める前の4世紀前半に築造されたもののようですから、5世紀前半に亡くなった崇神天皇の墓ではあり得ません。
 
行燈山古墳
イメージ 1

イメージ 2

この古墳は、江戸時代に蒲生君平が『山陵志』で景行天皇陵に比定し、明治になって宮内省(現・宮内庁)が崇神天皇陵に治定したのだそうですが、そもそも欽明天皇が531年に磯城で即位するまで天津族は河内にいて大和(葦原中国)へは入れていなかったのですから、大和には欽明天皇陵以前の天皇陵はないのですよね。欽明天皇以前に造られた大和の古墳は、箸墓古墳も含めて全て歴代の大国主とその一族の墓であろうと思います。景行天皇も架空の人物です。
 
私は、全国のこの時期の前方後円墳から500面以上も出土している「三角縁神獣鏡」は「卑弥呼の鏡」ではなく、大国主が造らせて傘下の各地の王たちに配ったものだろうと考えているのですが、この行燈山古墳からは、銅鏡を造る際に使われたと思われる銅板が出土していたそうです。
 
銅板
イメージ 3
 
天理市柳本町の黒塚古墳の石室に納められていた33面の三角縁神獣鏡
イメージ 4

 
これまでのように、根拠もなく国内だけで「○○天皇の陵」だということしていたのとは事情が違ってきたのですから、世界遺産に登録されたあとで「あれは作り話(ウソ)でした」ということになったのでは、非論理的なつじつま合わせをしてきた歴史学者さんたちや、それを元にして「仁徳天皇陵古墳」だとして申請した文化庁は、論理性の欠如を指摘されて大恥をかくことになるのではないでしょうか<(_ _)>


 

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