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不比等が作った「太陽神・アマテラス」

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2019.5.8 不比等が作った「太陽神・アマテラス」
 
日本でも同じように「イザナギの右目から生まれたアマテラス」というカミサマを作り、それによって権力の座にあることを永遠に正当化しようとしたようですが、他の国々と違っていたのは「カミサマのお告げ」や「天命」でその座に就いたのではなく、天皇はカミサマの子孫であり、カミサマそのものだというオハナシにしたところでしょうか。
 
「カミサマのお告げ」や「天命」で王や皇帝になったのであれば、他の人が「自分にお告げが下った」または「自分が天命を受けた」ということにして前王にとって代わることを正当化できますが、相手が「お告げや天命を下すカミサマ」そのものではそうはいきませんよね。私が「不比等」という人名としては不自然な名前は、「他に等しいものも比べるものもないほどの大天才・大政治家」という意味で、死後に贈られた名前(諡号)なのではないかと考えたのはそれが理由なのです。
 
実際に武士の勃興以降、明治になるまで実権も兵力も全くなく、逼迫して何の力もなくなっていたにもかかわらず、「天下を取った」信長も、秀吉も、家康も、「天下人」にはなっても誰も天皇家を廃したり取って代わったりはしなかった(できなかった)のですよね。これはひとえに不比等が作った「天皇は神の子孫である」というオハナシのおかげであろうと思います。
 
そして日本でも同じように、カミサマのお告げを利用して天皇を決めようとした「宇佐八幡神託事件」がありましたが、これも他国のように全く天皇家とは関係ない人がお告げを利用して天皇になろうとしたという事件ではなく、崇神系王族と応神系王族の王族内部の王位争いだったのです。
 
学者さんたちは「文献」の作り話を信じ、「得体のしれない怪僧・道鏡が男性的魅力で女帝をたぶらかして天皇になろうとした」と信じて疑わないようですが、カミサマの子孫しか天皇にはなれない日本では、絶対にそんなことはあり得なかったのです。
 
学者さんたちは足利や新田や武田や佐竹などは「姓・せい」だと思っているようですが、これは領地の地名であって「せい」ではないのです。当時は身分や職掌を示す「姓(かばね)」や出自を示す「本姓(ほんせい」はあっても、「姓(せい)」というものはなかったのですから。
 
新田氏の系図を買って、末尾に自分の名前を書き加えることで「本姓・源氏」になったという徳川家康の「徳川」はなんなのだろう?と疑問に思っていたのですが、去年新田荘に行ってみたところ「徳川」もやはり地名であったことが分かりました(^o^)

イメージ 1


日本では天皇(神)の血を引く人しか天皇にはなれなかったのですから、称徳女帝が道鏡を天皇にしようとしたということは、道鏡は天皇の血を引く王族だったということでしょう。道鏡は「弓削道鏡」なのですから弓削は地名で、道鏡は大阪の弓削を領地としていた王族であり、弓削を領地としていた天武天皇の皇子「弓削皇子(ゆげみこ)」の子孫であろうと思います。
 
この「宇佐八幡神託事件」と道鏡に関する推理は、このブログの2014.11.4の「宇佐八幡神託事件2」から12.30の「宇佐八幡神託事件49」にあります。
 
 
 

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