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武蔵野台地と湧水54 窪地と湧水

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2019.2.8 武蔵野台地と湧水54 窪地と湧水
 
新小金井街道の「仙川上流端」の標識の東(下流)には「山王窪の築樋」の表示があるので、ここも窪地で湧水があったのではないかと思って調べてみるとやはり大きな窪地で、この築樋はその窪地をまたいで「玉川上水小金井分水」を通すために築かれたものだそうで、下にはかつての仙川の水路跡があるようですから、やはりここにも仙川に注ぐ湧水があったのかもしれませんね。
 

小平には黒目川の源流のさいかち窪や柳窪がありましたが、小平市役所東側にも「平安窪」という大きな窪地があったそうで、他にもたくさんの「○○窪」があったようです。現在の地図では「窪東公園」「天神窪児童公園」「天神窪南公園」しか見つけられませんでしたが<(_ _)>、「窪東公園」はこの公園の西側には窪地があったということで、北側の「天神窪児童公園」と南側の「天神窪南公園」の間は「天神窪」という大きな窪地だったということかもしれません。

 
湧水があったと思われる窪地は大雨が降るとよく水が出たようですから、多分「○○窪」という地名は嫌われて、窪地は埋められ新しい地名が付けられているのでしょう。「天神窪児童公園」や「天神窪南公園」の辺りは、現在は「天神町」という地名になっているようです。
 

市役所の住所は「小川町」で、その東側に「平安窪」という地名は見当たらないので、どこが窪地だったのか今の地図では分かりませんが、古い地図には「○○窪」が記されていて、昔の小字名には「○○窪」があるだろうと思います。そういう地域の歴史を知ることができるのは中央の博物館ではなく、それぞれの地域の歴史館や資料館や地元の年配の方のお話からなのですよね(^o^)

 
武蔵野台地は西高東低の地形で、江戸時代近くまで海や湿地だった東の方の低地には旧石器時代の遺跡はありませんが、標高の高い武蔵野台地の西の方や多摩丘陵は旧石器時代の遺跡だらけのようですし、遺跡のある所には湧水があったようですから、今年は窪地・湧水探訪と地域資料収集に杉並区より西の方に出没しようかな(^o^)
 
西の方と言えば、武蔵野三大湧水の周りの遺跡について、善福寺池の遺跡については杉並区で分かったのですが、井の頭池と三宝寺池の遺跡については杉並区では分からなかったので、
 
今年に入ってから武蔵野市の「武蔵野ふるさと歴史館」と井の頭公園・練馬区の「石神井公園ふるさと文化館」と石神井公園へ行ってみたのですが、やはりどちらにも旧石器時代から連綿と続く大規模な遺跡群がありました。江戸時代以降は人口や文化は東の方に移って行ったようですが、中世までは人口も文化も地理と同じように西高東低だったようです(^o^)
 
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