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武蔵野台地と湧水52 鈴木遺跡と石神井川源流6

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2019.2.6 武蔵野台地と湧水52 鈴木遺跡と石神井川源流6
 
鈴木遺跡では、縄文時代早期・前期の落とし穴や土器や石器などが見つかっているけれど住居跡は発見されていないそうで、縄文時代には集落は水源のある1km下流の小金井カントリーの方に移っていたようですが、鈴木遺跡と小金井カントリの間にある小平市立第八小学校の敷地からは、奈良時代末~平安時代のものと思われる竪穴住居跡が1軒見つかっているそうです。
 
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でも、一軒だけというのは不自然ですよね。まだ見つかっていないだけで、八小の校庭の下や小金井カントリーの芝生の下にはまだたくさんの住居跡が埋まっているのかもしれません。学校もゴルフ場も掘ってみることはできないでしょうけれど。
 
鈴木遺跡と八小遺跡と小金井カントリーの位置関係を調べようと地図を見ていたら、隣の「東京たてもの園」方砂遺跡敷石住居址があることに気が付きました。「東京たてもの園」には何度か行ったのですが、屋外展示は見ていませんでした<(_ _)>。鈴木遺跡のことも知らなかったので、この辺りに旧石器時代から人が住んでいたということもこれまで知りませんでしたし・・・・ 
 
それではやはり鈴木遺跡にいた人たちは縄文時代にはこの辺りに移動していたのか?と思って「方砂遺跡敷石住居址」を調べてみたら、「旧所在地は青梅市友田町」となっていましたから、ここに住んでいた人の住居跡ではないようです。それならなぜここにこれが?と思ったのですが、考えてみれば、この敷石住居も縄文時代の東京の建物だったわけですから、「東京たてもの園」に移されて展示されていてもおかしくはないわけですね(^o^)
 
小金井公園にも東京たてもの園にも何度か行っているのですが、とても広いので、その時々に興味のあるものを見るくらいでした。前回はずっと解体されたままだったデ・ラランデ邸が復元公開されていることが分かったので行ってみたのですが、

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その時も敷石住居址には気が付きませんでした<(_ _)>。私の場合、2017年にはまだ敷石住居に興味がなかったので認識しなかっただけなのかもしれないのですけれど<(_ _)>。
 
小金井公園の奥には池と「石神井川上端」の標識があるようですが、これまで公園の奥の方まで行ったこともありませんでした。そこにある「二つ池」も湧水池なのでしょうね。今年は興味が建物から湧水池と川の源流に移っていますし、そろそろロウバイが満開になり、梅も咲き出しているでしょうから、お花見がてら石神井川上流端と湧水池を見にれまで行ったことのない奥の方まで行ってみようかな♪
 
 
 
 

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