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武蔵野台地と湧水3 雨沼(天沼弁天池)

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2018.12.9 武蔵野台地と湧水3 雨沼(天沼弁天池)
 
武蔵野台地の標高50m付近には湧水が多く、豊富な湧水が大きな池をいくつも作っていたようで、武蔵野三大湧水と呼ばれる三宝寺池(練馬区)・善福寺池(杉並区)・井の頭池(武蔵野市)はこの等高線上にあるそうです。

イメージ 1

 
湧水が枯れて縮小したり宅地化されてしまった池もあるようですがこの3つの池は今でも大きな池で、井の頭池は神田川、三宝寺池は石神井川、善福寺池は泉福寺川の源流になっています。
 
先日行った杉並区郷土博物館の分館は天沼八幡の近くの天沼弁天池公園にあり、園内にはあまり大きくない池があったのですが、ここには、昔は桃園川の源流の雨沼という大きな湧水池があったそうで、現在の「天沼」という地名はこの雨沼に由来するようです。けれどこの湧水池も湧水が枯れてしまったため、園内にある現在の弁天池は人工の池なのだそうです(T_T)。ここは荻窪駅に近く、ほとんど土の部分がないのですものね<(_ _)>

井伏鱒二が荻窪に越してきた昭和の初め頃は、台地の上はまだ一面の麦畑だったそうですから、その頃はまだ大きな池があったのでしょうか。
 
天沼八幡は天正年間の創立だそうで、創立当時は大きな雨沼のほとりに造られたのだろうと思いますが、江戸時代には天沼村字中谷戸の鎮守になっていたそうですから、その頃には雨沼の周りはもう湿地か、干拓されて水田になっていて、↓の弁天池の部分が池として残っていたのかもしれません。「谷戸」という字名も低湿地であったことを示していますし。
 
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天沼八幡 
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また、妙正寺川の源流になっていた妙正寺池もやはり大きな湧水池で、ここは武蔵国の宿駅「乗瀦」(あまぬま)の所在地であったとも推定されているそうです。現在ここは妙正寺池公園になっていますが、この池と川の名前も、池のほとりの高台に1352に妙正寺が建てられたことに由来するそうですから、1352年までは別な名前で呼ばれていたのでしょうね。
 
お寺や神社は川や池のほとりなどの台地の端(はな)に造られていることが多いのですが、高台の大きなお寺や神社の建物は目立つのでランドマークになっていたのでしょうか。お寺が造られると、その近くの地名や川の名などは「善福寺川」とか「妙正寺川」のようにお寺の名前で呼ばれるようになっていたようですね。
 
妙正寺池公園の園内で、今は暗渠になっている支流の井草川が妙正寺川に合流しているそうですが、この妙正寺池も湧水量が減ってしまったため、現在は池の水の大部分は近くに掘った井戸から汲み上げた地下水で賄われているのだそうです。
 
 
ところで今手元に、来年の手帳と4種類のカレンダーがあるのですが、いずれも年号が「2019年」と西暦しか入っていません。元号はまだ発表されていないのですものね。でも、日本国内だけでしか通用しない元号などなくてもなんの支障も不便もありませんし、デザイン的にもスッキリしています。
 
この機会に日本史を世界史から遊離させている元号を廃止して、西暦に統一してほしいものだと思うのですけれどね~(^o^)
 
 
 

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