2015.10.29 229号線(武州街道)
埼玉県小鹿野町の化石館から299号線を通って群馬県神流町の恐竜センターへ向ったのですが、このルートを選んだのは、299号線の通っている谷は古代には海だったのではないか?と考えたからでした(^o^)。
遺跡や地名から古代には群馬と埼玉は海辺だったのではないかと推理したのですが、ここに来て秩父盆地は古代には湾だったことが分かったので、それではその海はどこまで続いていたのだろう?と航空写真を見ると、小鹿野町から西に向って谷が伸びており、この谷を229号線が通っていることが分かりました。それではこの谷は古代には海だったのではないだろうか?その谷を通る229号は古くからの道なのではないだろうか?と考えて地図を辿ってみると、この道は群馬県の南部を西へ西へと進み長野県の佐久穂町で小海線の海瀬駅を横切っていました。
それならひょっとすると古秩父湾から佐久穂町まで海が続いていて、ここが海辺だったからここには「海瀬」という地名が付けられたのではないか?海瀬の南の「小海」とは古秩父湾から続いていた海だったのではないか?と考えたのですが、航空写真を見ると埼玉~群馬~長野とずっと谷が続いているわけではなく、埼玉・群馬の県境では900m近い峠を越えていますし、群馬の西部では山地を走り県境では1300mの十石峠を越えていますから、古秩父湾から佐久穂町まで海が続いていたと考えるのは無理があると思いました<(_ _)>。
実はずっと以前に八ヶ岳高原の「小海駅」を通って以来、高原に「小海」という地名があることをずっと不思議に思っていて、「古代の地形から『記紀』の謎を解く」を書く前、遺跡や地名から海との関係を考えていた頃に、「小海」という地名はひょっとすると本当に海だったからではないのか?と考え始めたのですが、地図を見ると「小海」は太平洋からも日本海からも同じくらいに遠い日本列島の真ん中にあるので、それはありえないように思えました<(_ _)>。
でも、海には全く縁がないとしたら、沿線に海瀬・小海・海尻・海ノ口などの地名が並んでいて湊神社まであるのはなぜなのだろう?もしも本当に海だったとしたなら、その海はどこから入って来ていたのだろう?と疑問がつのり、海だったのか海とは全く関係がないのか、現地に行ってみれば何か手がかりを得られるかもしれないと思って2009年の秋に八ヶ岳へ向かったのですが、当時は秩父盆地が海だったことは知らなかったので、海があったとすれば千曲川沿いに日本海に繋がっていたのではないかと考えて高速道路で佐久に向かいました。
佐久で高速を下りて走り出すと、「新海三社神社」の表示があったので、やっぱり佐久は海だったのだ!千曲川が海だったのだ!と思ったのですが・・・・そこには「日本で一番海から遠い場所です」と書いてありました<(_ _)>。
↑の記事には写真がないので、遅ればせながらここにその時の鼻顔神社と竜岡城址と新海三社神社の写真を入れておきますね(^_-)。
鼻顔神社
竜岡城址
新海三社神社
ところが「新海三社神社」に行ってみると、その由緒と祭神から思いがけないことが分かったので、急遽予定を変更してそこから諏訪大社に向かってしまったため、この時は「小海」と海の関係については「日本で一番海からは遠い所だ」ということを確認しただけで終わってしまったのですが<(_ _)>、この神社の由緒を見たことが「古代の地形から『記紀』の謎を解く」に書いた大国主の謎解きへと繋がっていったのです(^o^)。
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そして、この時諏訪に向かうために通った予定外の道が299号線だったことが6年後の今になって分かりました。フィールドワーク(現場検証)ではいつも思いがけない発見がたくさんあり、古代史の謎を解くカギはあちこちに落ちているのですが、「文献」のみを信奉する学者さんたちはそれらを見ようとはしないようです(^_-)。