コメントへのお返事2-2
2019.8.23 コメントへのお返事2-2 昨日の「コメントへのお返事2」の続きです。 『古事記』は「神功皇后が筑紫で生んだ応神天皇を連れてヤマトに入ろうとした時、香坂王・忍熊王が待ち構えていて、香坂王は戦う前に猪に食われてしまったが、忍熊王とは激しい戦いがあって忍熊王は琵琶湖で死んだ」という奇妙なオハナシを載せています。...
View Article鵜野讃良皇女と安倍内親王26 難波宮4
2019.8.19 鵜野讃良皇女と安倍内親王26 難波宮4 「鵜野讃良皇女と安倍内親王」に戻ります。聖武天皇は、閏1月11日に行幸を名目に難波宮に入ったのだそうですから、これは難波京への遷都ではなく、難波宮への行幸(外出)だったのですね。...
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2019.8.18 コメントへのお返事について 昨日私がコメント欄に書いたことがよく分からないとのご意見がありましたが、↓のようなコメントを戴いたので、そのコメントに対するお返事でした。仕組みがよく分からないのですが<(_ _)>、このコメントは私のパソコンでしか見られないものだったようです。...
View Article鵜野讃良皇女と安倍内親王25 難波宮3
2019.8.17 鵜野讃良皇女と安倍内親王25 難波宮3 683年に天武天皇が「複都制の詔」を出して作らせた難波宮は、686年に全焼してしまったようですが、726年になると、聖武天皇が藤原宇合を知造難波宮事に任命して難波京の造営に着手し、平城京の副都としたのだそうです。...
View Article鵜野讃良皇女と安倍内親王23 難波宮
2019.8.14 鵜野讃良皇女と安倍内親王23 難波宮 安積親王が恭仁京を出て難波に向かったのは、「難波京」ではなく「難波宮」へ行くためだったようですが、それではなぜ安積親王は難波宮へ向かったのでしょうね? 難波宮を調べみると、wikipediaには...
View Article鵜野讃良皇女と安倍内親王21 異母兄弟の謀反
2019.8.8 鵜野讃良皇女と安倍内親王21 異母兄弟の謀反 小説『ワカタケル』では、夫を任那に送られてその間にワカタケルの后にされ、ワカタケルの子を生んだ吉備の稚媛は、ワカタケルが亡くなると息子の星川を唆して謀反を起こさせたことになっていました。つまり白髪皇子の異母兄弟が王位を狙って謀反を起こしたわけですね。...
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2019.8.7 鵜野讃良皇女と安倍内親王20 「いったいなぜ、天武派の県犬養氏出身で歴代の天武系の天皇に信頼され、夫も三人の子もいた三千代が、大津皇子を謀殺した不比等の妻になったのだろう?」と疑問に思っていた頃、韓国歴史ドラマに「ああ、そういうことだったのかな?」と思うような場面がありました。...
View Article鵜野讃良皇女と安倍内親王19 不比等と三千代
2019.8.6 鵜野讃良皇女と安倍内親王19 不比等と三千代 不比等が政治の中枢に躍り出たのは、696年に高市皇子が死去して以降のことのようで、それまでは直広肆・判事の職にあった少壮官僚だったのだそうです。...
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2019.8.4 鵜野讃良皇女と安倍内親王17 聖武天皇が平城京から橘諸兄の領地に都を移したのは、平城京に根を張る藤原氏に対抗し、安積親王を暗殺から守るためだったようですが、では橘諸兄はなぜ聖武天皇とタッグを組んで絶大な力を揮っていた藤原氏に立ち向かう「反藤原派」の先頭に立ったのでしょうか?...
View Article2019.8.3 鵜野讃良皇女と安倍内親王16
2019.8.3 鵜野讃良皇女と安倍内親王16 先日、「父が死んだことをいちはやく知ったワカタケルは・・・」と書いてしまいましたが、『ワカタケル』では先王は父ではなく兄になっていました。https://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/43959304.html...
View Article鵜野讃良皇女と安倍内親王15 垣内
2019.8.2 鵜野讃良皇女と安倍内親王15 垣内 絵図を見ると、加茂氏の奈良時代の本拠地に造られた岡田鴨神社は大きな神社だったようで、今も長い参道が残っているようです。...
View Article鵜野讃良皇女と安倍内親王14 神社は「祖廟」
2019.8.1 鵜野讃良皇女と安倍内親王14 神社は「祖廟」 神社とは子孫が祖先を祀っていた祖廟であって、賀茂御祖神社の祭神は文字通り加茂氏の「祖」であり、賀茂別雷神社の祭神の別雷命は学者さんたちが言うような「雷神(カミナリサマ)」ではなく、アジスキタカヒコネの息子の別雷命(別名・火雷命)なのです。...
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2019.7.30 鵜野讃良皇女と安倍内親王12 聖武天皇が藤原氏の諜報網から逃れるために平城京から居場所を移した先はなぜ恭仁京だったのだろう?ということについてですが、恭仁京跡は、資料館の地図で見た時には周りは山ばかりの小さな盆地のように見えたので、辺鄙な山里なのではないかと思ったのですが、...
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